*大江山とも呼ばれる
1首塚大明神 (大枝山)
京都府京都市西京区大枝沓掛町
酒呑童子の首を埋葬した場所。
2樫原三ノ宮神社
京都市西京区樫原杉原町
源頼光らが鬼退治に使った酒を供えた場所。天井画には大江山酒呑童子絵巻の退治風景が描かれている。
八瀬童子(やせどうじ、やせのどうじ、はせどうじ)
山城国愛宕郡小野郷八瀬庄(現在の京都府京都市左京区八瀬)に住んでいた村落共同体の人々。比叡山延暦寺の雑役や駕輿丁*(かよちょう)を務めた。
伝説では最澄が使役した鬼・酒呑童子の子孫とされる。
寺役に従事する者は、垂らした長い髪に草履をはいた子供のような姿をしていたので童子と呼ばれた。
*駕輿丁:輿を担ぐ役
3妙傳寺(八瀬童子の菩提寺)
京都府京都市左京区北門前町481
1616年八瀬童子の菩提寺として建立。八瀬童子会*が念仏講。(2019年時八瀬童子会長玉川勝太郎氏)
*八瀬童子会
昭和3年(1928年)社団法人八瀬童子会が組織され、八瀬童子に関する資料の収集保全を行っている。
4秋元神社(八瀬八幡宮)
京都府京都市左京区八瀬秋元町639
江戸期に永代地租免除の特権剥奪危機から守ってくれた老中・秋元但馬守に感謝し、八瀬童子が建立。感謝を伝える赦免地(しゃめんち)踊り(京都市登録無形民俗文化財)が伝わる。
5瓢箪崩山の「鬼ヶ洞」
京都府京都市左京区八瀬近衛町
酒呑童子や八瀬童子の先祖である鬼神が隠れ住んだ伝承がある。
6鬼の腰掛岩
京都府京都市左京区八瀬秋元町
比叡山延暦寺の天台座主・院源(いんげん)が、閻魔大王の依頼を受け地獄を訪問。帰る時に2人の鬼を遣わした伝説がある。その2人の鬼が比叡山西麓の八瀬の里に住む、八瀬童子の先祖といわれてきた。この2人の鬼が腰かけ休息したのが「鬼腰掛岩」で延暦寺西塔北尾谷地区にあったという。
7土蜘蛛塚(東向観音寺)
京都府京都市上京区観音寺門前町863
源頼光が退治した土蜘蛛を埋葬。
8源頼光塚(上品蓮台寺)
京都府京都市北区紫野十二坊町33-1
蓮台野は古来より葬送の地として知られ、酒呑童子を退治した源頼光の塚もここに残る。
9源頼光邸宅の鎮守社(若宮八幡宮)
京都府京都市北区紫野雲林院町1
源頼光邸宅内にあった鎮守社を始まりとして、若宮八幡宮が創建されたと伝わる。
10頼光橋
京都市左京区静市市原町
源頼光が頼光四天王*を従えて、都から鞍馬詣の時に渡った橋だと伝わる。
-古今著問集
酒呑童子の息子としても知られる鬼・鬼童丸(鬼同丸とも)は、この市原野の地を棲家とし、鞍馬詣の帰路につく頼光一行を、牛の体内に潜み待ち伏せをした。
しかし、これを見抜いた頼光は綱に命じ弓矢で牛を射抜くと鬼童丸が現れ頼光に斬りかかるが、頼光は慌てず一刀のもとに切り捨てた。
*頼光四天王
頼光に仕えた4人(渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光)の家臣。
11一条戻橋
京都府京都市上京区主計町 一条通り
平安京の鬼門に位置する最大の魔界スポット。
頼光四天王の渡辺綱が鬼女に化けた茨木童子と出会った場所。
綱は鬼と化した茨木童子の腕を宝刀・髭切で切り落とした。
他にもある伝承↓
①橋で法力僧・浄蔵が父・三善清行を祈祷で蘇生させた由縁から「戻橋」命名
②安倍晴明が式神を隠した場所
③声聞師が多く在住し「橋占い」をしていた場所(建礼門院徳子の御産も占う。平安時代後期から橋占いの名所に。)
12晴明神社
京都府京都市上京区晴明町806
安倍晴明を祀る。境内に旧一条戻橋がある。
13鬼切丸/髭切(北野天満宮宝物館)
京都府京都市上京区馬喰町931宝物殿
頼光ら源氏の宝刀。綱が茨木童子の腕を斬った名刀。
14源頼光邸宅跡
京都府京都市上京区松之下町
藤原道綱母子 源頼光一条邸跡の石碑がある。
1大将軍八商店街「一条通妖怪ストリート」
京都府京都市上京区一条通
百鬼夜行出没スポット・一条大路に因んで町おこししている。各商店前には妖怪人形が並ぶ。
2晴明神社
京都府京都市上京区晴明町806
鬼や妖怪を祓った大陰陽師・安倍晴明を御祭神とする社。
晴明は邸に式神を置いていたが妻が嫌がるので一条戻橋の下に隠したという。
境内に式神という鬼像がある。
3あわわの辻
京都府京都市中京区上妙覚寺町209
大内裏東南角に二条大路と大宮大路の交差点で百鬼夜行出没。
4羅城門
京都府京都市南区唐橋羅城門町54
鬼の棲家として有名な場所。『今昔物語集』巻第24‐24では管弦名手である源博雅が、羅城門の鬼から名器「玄象」を取り戻す話がある。
芥川龍之介の小説や黒澤明の映画『羅城門』は『今昔物語集』19巻第19話「羅城門の上層に登りて死人を見たる盗賊の話」がモチーフ。
5朱雀門
京都府京都市中京区西ノ京小堀町2-3
鬼の棲家として多くの説話集に登場。『長谷雄草子』には、中納言・紀長谷雄が朱雀門楼上の鬼と双六の勝負をして勝ち絶世の美女を得るが、鬼との約束を守れず美女は水になってしまった話がある。
『十訓抄』には源博雅が朱雀門の鬼と笛を取り換えたのが「葉二」という名器で、浄蔵がこの笛を吹いて鬼に褒められた話がある。
6宴の松原(平安宮宴松原跡)
京都府京都市上京区七番町
内裏の内膳司と武徳殿の間にあった松林。ここで女が鬼に襲われる喰われる事件が『今昔物語集』などにある。
上京区千本通出水通西入ルあたりに比定。芳村石材店前に「縁の松原」石碑あり。
7河原院址
京都府京都市下京区都市町141-1
『源氏物語』光源氏のモデルの1人される源融の豪華な邸宅跡。融の死後、融の幽霊や鬼が出没する物の怪邸になったという。
8宇治の宝蔵(宇治市平等院)
京都府宇治市宇治蓮華116
日本中世の説話や御伽草子に描かれる伝説(架空)の宝蔵。藤原頼道が建立した平等院(鳳凰堂)南西にあったという。日本三大妖怪(酒呑童子、大嶽丸、玉藻前)の首級や遺骸などの珍宝が納められていたという。
陰陽道では丑の刻(午前1~3時)は鬼が出たり、人が鬼に変化する時刻とされてきた。
平安時代からその時刻に呪詛する「丑の刻参り」が日常的に行われていた。身体に丹、顔に朱をぬり、頭に3本のローソクを点てた鉄輪をかぶり社寺に詣で、呪う相手を形どった藁人形をご神木などに打ち付ける。誰にも見られず7日間行えたら、鬼と化して復讐を成し遂げられる。この伝説の起源が『平家物語』の橋姫伝説である。
嵯峨天皇の御代、宇治に住む公家の娘が夫に捨てられ恨みを晴らすために、貴船明神で丑の刻参りをした。満願になり鬼と化して夫と縁者を全て呪い殺した。
1橋姫神社
京都府宇治市宇治蓮華47
もとは宇治橋の守護神。『平家物語』橋姫から縁切りの御利益があるとされる。
2鉄輪井戸
京都府京都市下京区堺町通松原下る鍛冶屋町251
「橋姫伝説」を元に生まれた謡曲『鉄輪』史跡。夫に捨てられた女が、貴船明神に丑の刻参りし鬼と化した。夫は安倍晴明に相談し祈祷により救われた。力尽きた女を葬ったのが鉄輪井戸という。縁切りの御利益がある。
3夕顔の墓
京都府京都市下京区夕顔町
『源氏物語』で、源氏の愛人になった夕顔に対して、嫉妬に狂い生霊(鬼)となった六条御息所の生霊が夕顔を取り殺す。
1六道珍皇寺と六道の辻(死の六道)
京都府京都市東山区小松町595
平安京三大葬場の1つ鳥辺野葬場の入口、あの世とこの世の境目である「六道の辻」にある寺。死者はここで引導を渡された。境内に篁卿が冥界へ行くのに使った井戸がある。
死んで冥界に行くことから「死の六道」と呼ばれる。篁堂に篁像と閻魔像が安置されている。
現在はお盆前(8月)にご先祖様をお迎えに行く「六道まいり」(お精霊さん)で有名。
『熊野観心十界曼荼羅』などの地獄絵などが伝わり、地獄の様子が伝わる。
2西福寺
京都府京都市東山区轆轤町
かつて六道の辻にあった6つの堂の1つ。弘法大師が建立した地蔵堂。六道参りでは地獄絵(熊野観心十界曼荼羅等)の絵解きが行われる。向かいには「子育幽霊飴」本舗がある。
3千本えんま堂・引接寺
京都府京都市上京区閻魔前町34
平安京三大葬場の1つ蓮台野葬場の入口にあり、死者に引導を渡した寺。ここには閻魔大王の命で篁卿が安置した巨大な閻魔大王像がある。本堂は閻魔庁法廷を模しており閻魔像の両脇には司禄尊、司命尊が安置。生前の行いが映る浄玻璃の鏡も。本堂には地獄の様子が描かれている。ここで獄卒と会える……
4嵯峨薬師寺(福生寺継承)と「六道の辻(生の六道)」石碑
京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46-46
東山と同様に嵯峨野にも「六道の辻」があった。嵯峨野には「嵯峨六道町」という地名が残る。大覚寺門前に近年「六道の辻」石碑が建立された。
5「六道の辻」石碑と嵯峨六道町
京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町
東山と同様に嵯峨野にも「六道の辻」があった。嵯峨野には「嵯峨六道町」という地名が残る。大覚寺門前に近年「六道の辻」石碑が建立された。
1北野天満宮の鬼神像13躰
京都府京都市上京区馬喰町
2002年に本殿にあった唐櫃(からびつ)から発見された13躰の木造鬼神像。上半身は裸で憤怒の形相をしている。邪気や霊を払うため、平安京の街道の分岐点に配置されたと考えられている。鬼神像は重要文化財に指定されている。
2祝園神社(ほうそのじんじゃ)
京都府京都市下京区堺町通松原下る鍛冶屋町251
社記によれば、崇神天皇の時代に、この地で討伐された武埴安彦(たけはにやすひこ)の亡魂が鬼神となって柞ノ森(ははそのもり)にとどまり、人々を悩ませていた。これを鎮めるため、春日大明神を勧請して創立されたと伝わる。
現在に伝わる奇祭「いごもり祭」も、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して祈願を行ったことに始まるといわれている。
文献では、「新抄格勅符抄」に「祝園神」の名が見えるのが最古であり、少なくとも、奈良時代には確実に存在していたと思われる。その後「延喜式」神名帳や「三代実録」に名が見え、嘉吉元(1441)年に書かれた「興福寺官務牒疏」には在僧2人、祝主3人、神人3人がいたことが記されている。(精華町Webサイトより▷)
3和伎座天乃夫岐賣(わきにいますあめのふきめ)神社・湧出宮(わきでのみや)
京都府木津川市山城町平尾里屋敷54
山城国祈雨神11社の1社。天平2年(766年)に伊勢・五十鈴川の船ヶ原から和伎座天乃夫岐賣命を勧請して創建。鬼神となった武埴安彦を鎮魂するいごもり祭が行われる。